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ジョン・パー (ノバスコシア総督) : ミニ英和和英辞書
ジョン・パー (ノバスコシア総督)[そうとく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [そう]
  1. (n,pref) whole 2. all 3. general 4. gross 
総督 : [そうとく]
  1. (n,vs) governor-general 

ジョン・パー (ノバスコシア総督) : ウィキペディア日本語版
ジョン・パー (ノバスコシア総督)[そうとく]

ジョン・パー(John Parr、1725年12月20日 - 1791年11月25日)は、イギリスグレートブリテン王国)の陸軍士官、(現在のカナダノバスコシア州一帯に相当する)ノバスコシア植民地総督。アイルランドダブリンに生まれ、英領ノバスコシアのハリファックスで没した。遺体はハリファックスのセント・ポール教会 (St. Paul's Church) の地下聖堂(クリプト)に納められている。
== 生い立ちと軍歴 ==
アイルランドのダブリンで、17世紀にアイルランドへ移住したアングロ・アイリッシュ貴族の家系に生まれたパーは、トリニティ・ハイスクール (Trinity High School) に学んだ。1745年、19歳で ensign(階級を指すとすれば少尉、職務を指すとすれば旗手)としてイギリス陸軍第20歩兵連隊(20th Regiment of Foot:ランカシャー・フュージリアーズ (Lancashire Fusiliers) の前身)に加わり〔、オーストリア継承戦争に従軍した。
1746年カロデンの戦いの際には、准大尉(サバルタン)の士官としてカンバーランド公ウィリアム王子の軍勢の一員として、チャールズ・ステュアートに率いられたジャコバイトの反乱を鎮めるため、広くスコットランド各地を行軍した。
1755年、パーは第20歩兵連隊の大佐であったジェームズ・ウルフ副官となった。1759年七年戦争中のミンデンの戦い (Battle of Minden) においてパーは負傷し、6か月間を病院で過ごした〔。その後は、6年間のジブラルタル駐在を経て、中佐に昇進した〔。1776年、パーは連隊から除隊し、1778年にはロンドン塔のメイジャー(少佐相当)という高遇の閑職を与えられた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・パー (ノバスコシア総督)」の詳細全文を読む




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